大阪府貝塚市[水間寺(みずまでら)]までツーリング
周辺とともに大阪みどりの百選に選定されていいます。
新西国三十三箇所第4番札所です。
寺伝によれば、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により
行基が開創したものという。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、
行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である
16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと
伝わっています。その滝は、現在の本堂の裏を流れる小川にあったらしく、
現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と
墨でかかれたボードが設置されています。
中世より武家による手厚い保護を受けていたが、紀州征伐の際に紀州勢に与したため、
1585年(天正13年)に堀秀政の軍勢に攻められて焼失しました。
元禄年間には堂宇も再建されました。
1811年(文化8年)に本堂が再建され、1827年(文政10年)には
他の堂宇も再建されました。
水間寺ではご本尊であります本堂の聖観世音菩薩のご祈祷と
不動明王を祀る護摩堂でのご祈祷があります。 本堂でのご祈祷は毎日、
年中無休にて行っています。
水間寺には三重の塔がありますが、これが利生の銭に因縁の話があります。
或る年江戸の名も知れない廻船問屋が一貫の利生の銭を借りて帰ったが、
なかなか返済に来ません。
とうとう13年目に馬の背に13年間の元利を揃えて参拝しました。
よってこの銭をもってこの塔を建立したという話です。
後にこの人は網屋という人だ と判明しました。
この水間寺の利生の銭については、江戸時代の有名な小説家、
先駆けといわれている)にも取り上げられています。
現在の三重塔は、天保5年(1834年)岸和田藩主 岡部長愼に
より再建されたものです。
水子地蔵もあります。
訪れたのは日曜日だったので人も多く賑わっています。
その為出店も出ています。
車で行った場合は無料駐車場があるので安心です。
↓地図↓
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