ケンのトコトコ日記

ゆる〜り旅日記

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

和歌山市府中[府守神社(ふもりじんじゃ)]までツーリング

府守神社は貞観十七年(875年)、此の地におかれた紀伊國國府の 鬼門の守護神として鎮座し、中古白鳥の宮とも聖天宮とも称しました。 明治以後旧名の府守神社に復したが、拝殿正面には聖天宮と記されています。 紀伊国府は六町四方とされていますが、その…

和歌山市加納[塩野神社(しおのじんじゃ)]までツーリング

塩野神社は、持統天皇(645年~703年、在位690年~697年)の御代、 紀伊国名草郡加納庄(『紀伊続風土記』では直川荘六十谷村領上加納)に 塩野大神(別名中津少童尊。『古事記』では中津綿津見命)を主祭神として 奉祭したのが始まりとされてい…

和歌山市鳴神[鳴神社(なるじんじゃ)]までツーリング

鳴神社には「当社は延喜式内名神大社往古紀伊湊を開拓した 紀伊忌部氏により創建せられた。主祭神天太玉命(向かって左側本殿)及び 祓戸の神速秋津彦命 速秋津姫命(向かって右側本殿)を祀る」とあります。 この神社は紀北では伊太祁曽神社に並んでの古社とい…

和歌山市神前[堅眞音神社(かたまおとじんじゃ)]までツーリング

今回は和歌山県の大企業である島精機の近くに 鎮座する堅眞音神社を紹介します。 創建時期は不詳です。 元は鳴神山(次回のブログで紹介します)の麓にあったとされます。 // //

和歌山市田野[衣美須神社(えびすじんじゃ)]までツーリング

海の守神を祀る衣美須神社 古代忌み言葉として、クジラやシャチをエビスと呼んだ漁民がいました。 クジラはイワシを授けるエビス神、シャチは可畏きものとしてのエビスです。 東北では鮭をエビスと呼んでいました。種の王の意味でもあります。 // //

和歌山市川辺[力侍神社(りきしじんじゃ)]までツーリング

力侍神社は当初は和歌山県田辺市本宮町の大斎原(熊野本宮大社の旧社地)に 鎮座していましたが、平安時代中期に現社地の東北方である 神波(こうなみ)の字桑畑に遷座したのが創祀であると伝えられています。 // //

和歌山市岩橋[高橋神社(たかはしじんじゃ)]までツーリング

高橋神社は物部氏の遠祖饒速日命を祀る神社の一つです。 笛不吹明神社と呼ばれ、境内近辺で笛を吹くことを禁じられていました。 古来岩橋村に住む高橋姓、笛吹姓の人々は饒速日命の末裔とされています。 // //

和歌山市禰宜[高積神社(たかつみじんじゃ)]までツーリング

経営の神様とよばれている「高積神社」 髙積神社は、和佐荘祢宜高山(現在の高積山)の上にあり、 古くから「高社」、「高ノ宮」、「高三所大明神」、「高ノ御前」と たたえ奉られていました。 和佐高山の峰に鎮座することから「高」と呼ばれています。 // //

和歌山市松原[武内神社(たけうちじんじゃ)]までツーリング 

長寿の神と云われている武内神社 当地は武内宿禰命(たけうちのすくね)が生まれた地とされ、境内には生まれた際の産湯に 使ったとされる井戸が残っています(建物は享保年間の創建)。 // //

和歌山市宇須[宇須井原神社(うずいはらじんじゃ)]までツーリング

住宅街の中に静かにたたずむ宇須井原神社を紹介します。 井原神社と宇須神社との合併により、明治41年8月10日許可を 受け宇須井原神社と改称しました。 // //

和歌山市冬野[名草神社(なぐさじんじゃ)]までツーリング

今回は自宅より程近い場所に鎮座する「名草神社」を 紹介します。 自宅から近いのですが今まで行ったことがなく、ツーリング帰りに 立ち寄ってみました。 // //

和歌山市内原[内原神社(うちはらじんじゃ)]までツーリング

名草山の南側に面した場所に鎮座する「内原神社」は 緑に囲まれて自然の中に溶け込んでいます。 名草彦命、名草姫命は天道根命の五代の孫で紀の国造でした。 この両神は中言大明神と言われました。神の言葉を伝えるシャーマン的な 支配者でした。 神と民との…

和歌山市紀三井寺[若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ]までツーリング

『紀伊続風土記』には、紀三井寺村には北に牛頭天王社と 南に若宮八幡宮とがそれぞれ鎮座とあります。 これらを明治初期に牛頭天王社を若宮八幡宮(現在地)に遷座合併し、 さらに明治四十二年には浜宮神社内に遷座してしいましたが、 昭和二十五年に現在地…

和歌山市梶取[総持寺(そうじじ)]までツーリング

総持寺(そうじじ)は、和歌山県和歌山市梶取にある 浄土宗西山派の寺院です。 梶取本山(かんどりほんざん)、梶取本山総持寺ともいいます。 地元では「かんどりさん」と呼ばれ親しまれています。 // //

和歌山市毛見[濱宮(はまのみや)]までツーリング

濱宮は「浜宮神社(はまのみやじんじゃ)」ともよばれています。 日前國懸神宮(和歌山市秋月)の元摂社であり、 両神宮の旧鎮座地であるとともに、伊勢神宮元宮(元伊勢)の 1つの奈久佐浜宮(なぐさのはまのみや)であると伝えられています。 // //

和歌山市中之島[安楽寺(あんらくじ)]までツーリング

安産祈願と縁結びの寺「安楽寺」 安楽寺は元々、天台宗寺院と称して松島村に存在していましたが、 かなり荒廃していました。 享保11年(1726)正月に、長束長兵衛丈好という者が、 先祖供養のために、栄谷村に移転再建し、山号を長束山とした。 // //

和歌山市元寺町北ノ丁[高野寺(こうやじ)]までツーリング

第26番 遍照山 覚樹院高野寺 和歌山西国三十三所観音霊場第26番「高野寺(高野山真言宗)」は 和歌山市元寺町にあります。 「ぼけ除け二十四地蔵尊霊場」の第2番寺ともなっています。 // //

和歌山市新魚町[宇治神社(うじじんじゃ)]までツーリング

宇治神社は元来鳥羽上皇の勅願所であり、覚俊上人が長承四年五月四日、 初めて当国葛木山麓に勧請、その後、 康始元年、岩手村吉野川北岸に創建しました。 // //

和歌山市鷺ノ森[鷺森別院(さぎのもりべついん)]までツーリング

鷺森別院は浄土真宗本願寺派の寺院で京都の西本願寺の別院にあたります。 当別院は文明8年(1476年)、紀伊国冷水浦(しみずうら、 和歌山県海南市冷水)に建てられた冷水道場が前身です。 // //

和歌山市鷺ノ森明神丁「朝椋神社(あさくらじんじゃ)」までツーリング

朝椋神社は創立年代は不詳ですが、『紀伊續風土記』に、 「右社若山鷺ノ森にあり、延喜式神明帳名草郡朝椋神社、 本國神明帳名草郡從四位上朝椋神是なり、此地古樟の大樹あり 白鷺常に其上に群集りしかは、土人鷺ノ森神社といへり、 又九頭大明神と称す」の…

和歌山市元寺町[住吉神社(すみよしじんじゃ)]までツーリング

住吉三神を祀る信仰から生まれた住吉神社は、その創建は 天正年間(1573~1592)のことで、昭和20年の戦災で 焼失するまで住吉町(現在の本町小学校の処)に鎮座していました。 鳥居は「住吉鳥居」と呼ばれる特有な角柱の鳥居です。 // //