2020-01-01から1年間の記事一覧
隅田八幡神社は京都府石清水八幡宮から勧請された神社です。 ここに伝わる人物画象鏡は、日本最古の金石文の一つ として国宝に指定されています。 神功皇后が外征後、筑前国から紀伊の衣奈浦(日高郡由良町)を 経て大和の都に御還幸の途次、この地に滞留な…
葛城神社は、素盞鳴命を主祭神とし、歓請については、詳細不明、 古老の言伝えによれば、正平4(1349)年頃、戦火により、 旧記等、悉く焼失したと伝えられています。 当地は紀伊見峠の麓にあり、京都摂津より高野山に至る 街道として古くから知られています…
旧伊都郡相賀荘辻村に鎮座し、江戸時代後期の社号は「牛頭天王社」と記され、 境内は周84間(約151メートル)です。 『紀伊続風土記』に一文あり。「村中にあり、三百年前矢倉脇村 (現・橋本市矢倉脇)より勧請すといふ。神事は九月二十八日なり」と記…
相賀大神社は、古くは相賀荘惣社大明神・総社三部明神とも呼ばれ、 祭神に「天照大神」「伊邪那岐神」「伊邪那美神」が祭られています。 創建は明らかではありませんが、その昔、一町三十一とも二十九村とも いわれるこの地区の総産土神として崇敬されてまいりまし…
学文路天満宮(かむろてんまんぐう)とも言います。 ここから300メートル程登った所に境内があります。 // //
光三宝荒神社は高野山の麓、紀ノ川のほとり神野々に鎮座する 神仏習合の古社です。創建は古く、寛治4年(1090年)この地に 三宝荒神が光明を放って天下りしを時の法皇白河院が感得し、 祠を建てられたのが始まりとされています。 // //
前回のブログで紹介した小田神社より北に5キロほど 行った先に鎮座している信太神社の紹介です。 信太神社は土竜封じの神として信仰されています。 縁起は不詳です。 // //
小田神社は、饒速日命の十三世の孫である物之部武彦(建彦)命を 主祭神としてお祀りしています。 この神は物之部尾興連公の弟神で小田連等の祖です。 醍醐天皇の延長五年(927年)に撰上された「延喜式神名帳」に、 「小田神社」として記載されている式内社…
名古曽蛭子神社は、約300年程前に創建されたと伝えられ 当時紀ノ川は神社の西側の方角に藪の下を通って 滝の井戸の方向に流れていました。 ある年の大洪水に遭い、祠が流されてしましました。 // //
千種神社は地元で「あしがみさん」と呼ばれています。 というのも、かつてこの地域を支配していた名草一族の首長 「名草戸畔」(なぐさのとべ)の足が祀られているという伝承があるからです。 「あしがみさん」ということから、足腰の健康にご利益があります…
立神社の祭神は大屋毘古神を祀っています。 嘉応元年(1169年)宮崎定範が宮崎郷を領し、一城を築き、 この立神社境内へ別に社殿を創造し、熊野十二柱の神を祀り、数代崇敬しました。 // //
糸我稲荷神社は有田市にあり、日本最古の稲荷社といわれており、 江戸後期の社伝によると「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、 社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、白雉3年(652年) の創建といわれています。 // //
道の東山麓にあり、もと「八幡宮」といい、明治6年八幡神社となり、 明治28年に宮原神社と改めました。 十五代天皇・応神天皇と仲姫命の娘の名前は、『古事記』では 「木之荒田郎女」、『日本書紀』では荒田皇女です。 「荒田」は有田郡の村名であるが、一説…
箕嶋神社は、古来より烏の杜と呼ばれ、当初は水主神社と称していましたが、 牛頭天皇、祇園社、と名称が変わり、明治三年より箕嶋神社と 称するに至っています。 // //
國主神社は、初島町大字椒里地区の氏神です。 此の神社附近の田畑は、大國主の開拓された由緒ある遺蹟と察せられる故、 班田制で大和河内方面の如く大化革新以来公田とさるべき所で、 境内には以前里字の各所に散在していた小祠を茲に合祀されています。 // …
天神社は、学問の神様として広く尊崇される菅原道真公をご祭神とし、 古くから有田市初島町浜(旧椒浜村)の産土神として奉斎されてきました。 // //
「中言神社」の名称には、神と人との「中」を取り持ち「こと(言)」を行う、 そんな由来があるとのことです。 あえて「言葉」の「言」が使われていることから、 神様の言葉を伝える役割があったのではと言われています。 // //
足の神様の「道陸神社」 「どうろくさん」と呼んで親しまれ、足の神様として信仰されています。 もとは戦国時代に、この地方に勢力を誇っていた蛇谷城主松浦肥前守守が、 その城内に祀っていたものを、廃城後に木積畑の人びとが現在の場所へ 移したものだと…
祭神は菅原道眞。ところが由緒書きを見ますと、 堀河天皇の寛治四年正月(約九百年前)、白河上皇熊野御幸の帰途、 隣地の別野村の田中に白蓮の咲いているのを御覧になって、 同所に熊野神社を祀ろうとして暫く当所に蹕を駐め給うていた際に、 本地人民が今…
阿理莫神社は貝塚市内で唯一の式内社であり、御祭神は饒速日命、阿理莫公です。 饒速日命の子孫である物部氏の末裔が安幕(アマカ)氏で、 累世阿間河荘の豪族でした。 // //
脇浜戎大社は、今宮戎、西宮戎と並び商売の神として知られていて、 福笹を求める参拝者で賑わいます。1月10日の本戎には 「柴灯大護摩供」が行われ、その後無病息災を願い大勢の人々が 火渡り修行を行います。 境内案内板には、「高龗神社は海神である高龗大…
八品神社は貝塚市の特産品「和泉櫛」発祥の地、澤地区にあります。 平安時代以前から櫛の神様として崇敬され、社の玉垣には 全国の櫛商店の名が見られます。 // //
明治40年から42年にかけて、南近義地域に所在する神社と合祀し、 南近義神社と改められました。 主神の弥都波能売神(みつはのめじん)をはじめ、 丹生都比売神(にうつひめじん)など36の神を祀ります。 // //
加支多神社の御祭神は誉田別命(応神天皇・八幡大神)、市杵島姫命、 天児屋根命で、誉田別命は、応神天皇の御神名で「八幡さま」と 通称されています。 神功皇后が新羅を御遠征中、二年間皇后の胎内におられて誕生しました。 「安産の神」「子授けの神」「知…
関西国際空港の建設を契機として創建され、航空安全祈願と 渡航安全祈願を行っている。正式名称は「泉州磐船神社」 (せんしゅういわふねじんじゃ)といいます。 // //
奈加美神社の創建時代は不明ですが、平安時代初期と考えられています。 旧の社名を大宮神社といい、この地域の中心の神社でした。 新しい名前の由来は中庄の「な」上瓦屋の「か」湊の「み」を取り 3町合同の願いをこめて名づけられたそうです。 // //
創建の時期は明らかではないが、社伝によると神倭伊波礼毘古命による東征の際、 命が河内から大和に入る時に長髄彦と戦い敗れました。 その際に野原が広がる当地まで退却した命はここで 「日」(天)の神である天照大御神と「根」(黄泉)の神である 須佐之…
意賀見神社は室町時代に建立された神殿は春日造りでは大阪府で一番古く、 1950年(昭和25年)には、国の重要文化財に指定されています。 古来、雨乞、雨に霊験があると伝えられており、祭神も水と雨を つかさどる神がまつられています。 // //
蟻通神社は、大阪府泉佐野市長滝に鎮座する氏神鎮守社です。 元の境内は、熊野街道(紀州街道)沿いにあり、紀貫之の物語をはじめ、 多くの故事伝承があることで知られています。 蟻通神社には伝説があります。 // //
船岡神社は船岡山の北東隅に鎮座し、創建の年月は不明ですが、 本殿の建立は江戸時代後期の伝統を良く残していて、明治期かと考えられています。 天正十三年岡本五郎之に籠り、秀吉と戰ひて敗れ、元和元年樫井川の戰には、 「紀州浅野勢の據りし所なり。」と…