和歌山県海南市下津町[四十八所神社(しじゅうはっしょじんじゃ)]までツーリング
四十八所神社の由来は、後鳥羽天皇建久元年(1190)元日の夜、
熊野権現の神が白髪の老翁として現われ、鎌倉の右兵衛佐、
一体の御神像が漂流なされています。
これを勧請して、その地の氏神としたならば、天下泰平まちがいなし。」との
お告げがあった。頼朝公はこの霊夢を奇とされ、翌朝、北条四郎時政と当地の住人、
庄司右近太夫の舎弟左衛門次郎祐重の一子、主馬尉宇野辺時重、
杉田太郎成経に命じて、海岸を捜索させると、果たして一体の御神像が
海上に漂流なされていた。そこで、これを拾いあげ奉り、
さらに幕府の命によって、その海岸に社殿を建築し、この御神像をおまつりして、
氏子を初め各地の崇敬者の信仰厚く現在に至っています。
祭神は下照姫神です。
祭神を下照姫神とするのは、村の名が下津浦であることによるようです。
車で参拝の際は鳥居をくぐりすぐ右側に駐車できます。
↓地図↓
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