明治40年から42年にかけて、南近義地域に所在する神社と合祀し、
南近義神社と改められました。
主神の弥都波能売神(みつはのめじん)をはじめ、
丹生都比売神(にうつひめじん)など36の神を祀ります。
もとは、吉野の丹生神社の分社であり、丹生神社と呼ばれていました。
弘安7年(1284)に近木庄が高野山鎮守の丹生都比売(天野明神社)に
寄進された際、分霊が歓請されたと伝えられていて、天野明神
とも呼ばれました。
水、雨、あるいは安産の神として信仰があつく、江戸時代には
雨乞いのため、鐘、太鼓をならしながら「干度参り」が
行われました。
車で参拝の際は駐車場があります。
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